ジョブシャドウ イン ニューヨーク 参加生徒のレポート

京都市立西京高等学校 Sさん

今回のジョブシャドウインニューヨークで私は予想していたよりも遥かに多くの有意義な経験を得ることができました。何よりも心の持ちようだとか、ものの考え方といった精神的な部分が大きく変わったのではないでしょうか。まずニューヨークの滞在中に絶えず思ったことが、いかに英語を使うことが大変で且つ大切であるか、ということです。これは言うまでも無く当たり前だと思われるかもしれません。しかし、やはりコミュニケーションツール無しには何もできないのですから、これはかなり重要なことだと思います。実際に現地で英語を話すのは思っていたよりも簡単でした。問題は、英語を聴くということでした。相手の話す英語が本当に分からなかったのです。最初はレストランでの飲み物の注文にも戸惑ってしまいました。いつも英語の授業でノートに書いているような簡単な文章でも、空気中を音となって飛んでくるとなると話はまったく違います。二日目あたりでだいたい相手が何を言っているのか分かるようになりましたが、それでもこれほどまでに英語を聴くことが難しいとは予想していませんでしたので、出鼻から大きく挫かれたわけです。

CBS放送局で行われたジョブシャドウでも、考えもしなかった発見がいくつかありました。発見のひとつは、番組をひとつ作るだけの作業に実にさまざまな分野の人たちが携わっているということです。特に印象に残っている仕事があります。それはコントロールルームで何十台と並んだテレビと向き合って画面を編集するというものです。各地から集められた多くの情報がそれぞれの画面に映し出され、それらを組み合わせて番組を作る作業なのですが、その画面の数が半端な数ではないのでとても驚きました。また、CBS放送局だけではなくPricewaterhouse Coopersという会社にも訪問しました。この会社では日本人の方々も働いておられて、私たちを迎えてくださいました。皆さんのお話を聞いていると、日本の職場とアメリカの職場とでの違いの大きさや、意外に似ている点などがあってなかなか面白いと思いました。

全体的な印象としてはどの人もみな自分の仕事に楽しみや誇りをもっているように見えて、それまで仕事に対して持っていたマイナスイメージが一気に消えてしまいました。そして、何よりも仕事というものの価値観が変わった気がします。今までずっと仕事を外側から見てきましたが、今回初めて内側から違う角度で見ることができ、少しですが仕事というものに親しみを持ちました。このことはこれから進路を決定してゆく上で自分に対して非常に大きく影響していくと思います。

その進路の段階で今一番自分が近い位置にいるのが大学進学ですが、今回のジョブシャドウインニューヨークでの旅程にはニューヨーク大学訪問とJKO高校の訪問がありました。ニューヨーク大学では十人それぞれに大学の生徒が一人ずつついてくれて、講義に一緒にださせてもらうことができました。そこで私は生まれて初めて大学の講義を一つ受けました。正直なところ、日常会話レベルの英語でも精一杯だった私にとっては何がなんだかよくわからなかったのですが、講義には緊張感もある一方自由な雰囲気にも満ちていて、現地の大学生たちが皆で手を上げては意見を述べたり冗談を言ったりしている光景を見ていると私までとても楽しい気分になってしまいました。講義の内容こそ分かりませんでしたが、場の雰囲気が日本の学校よりも積極的だなと感じました。また、JKO高校を訪れたときも驚きの連続でした。というのは、まず学校がとても大きくて、そして教師と生徒が友達のように仲がいいのです。教師の方々も、「ようこそJKO高校へ。ゆっくり楽しんで行ってね。」といったような感じで非常に気さくに話しかけてくださいます。日本の学校ではなかなか見られない光景だったので、これには良い意味で文化の違いを感じました。

そして、授業の内容も違っていました。私の学校で一年生のころに、授業で企業経営のシミュレーションのプログラム「MESE」というものをやったことがありますが、これと似たものがJKO高校にもあるようでした。ですがその内容はもっと高度で、実際に架空の会社でカタログを作り、バーチャルマネーで取引をして本物の企業さながらのシミュレーションを行っているらしいのです。これは驚きました。ですが一番驚いたことはJKO高校の生徒が大人っぽかったことです。話しているときも、大学生と話しているような気分でした。

このジョブシャドウインニューヨークでは、他にもここには書ききれないほど発見があり、また多くのことを学び取ることができました。特に、グラウンドゼロを訪れたときのショックというのは今までにないものでした。悲惨な現場では今もなお復興作業が続いていて、その深く掘り下がったツインタワー跡を見ると心が詰まる思いでした。そして、今までテロというものの恐怖いかにも分かっているかのように錯覚し、いかに薄っぺらく捕らえていたかがよく分かり、まさに百聞は一見に如かずという言葉のとおり、物事というのは実際に自分の目で見て確認することが何よりも大切なのだということを実感しました。今回、実はジョブシャドウに応募するかどうかを、学校提出期限の前日まで迷っていました。思い切って応募してみたことから、まさかこれほどの変化や感動を得ることができるとは思っていませんでした。今回のジョブシャドウインニューヨークに参加することで、積極的に何事にも挑戦してみることがどれだけ重要なのかを知ることができたので、私はこれからも生きていく上で意思決定を迫られたときはできるだけ積極的に、何事にも挑戦できるようになりたいと思います。最後にジュニアアチーブメントの方々、私を大きく変える機会をくださり本当にありがとうございました。


神奈川県立横浜清陵総合高等学校 Mさん

ニューヨークで過ごした1週間は、まるで長い夢のようでした。映画の中にすっぽり入ってしまったような感覚で、全てがエキサイティングの一言に尽きました。未だに自分がタイムズスクエアを歩いていたことが信じられません。私は文字通りニューヨークに恋に落ちてしまったのです。

訪れた場所、出会った人、見たものや感じたことの全てを書こうとしたら本が一冊出来上がってしまいます。ロシア、オーストラリア、イタリアなどさまざまな国の人と回った国連のツアー、丸一日かかっても回りきれないメトロポリタン美術館やアメリカ自然史博物館、すばらしいブロードウェイミュージカル「マンマ・ミーア!」、そしてもちろんCBS放送局など、どこで得た経験も本当に忘れられない思い出です。ここでは、最も印象に残った体験のいくつかを紹介させてもらいます。

まず、PWC(プライス・ウォーター・クーパーズ)とジュニアアチーブメントニューヨークでは実際にそこで働く方々からお話を聞くことが出来ました。PWCとはミッドタウンの東にある会計会社で、今回お会いした社員はほとんどが日本人か、日本と関わりの深い方です。社員の方からひとりずつその仕事に就くまでの経緯などを説明してもらった際の、ネイティブのような流暢な英語はもちろん、何より皆さんの表情が生き生きと輝いているのに感動しました。おそらく、自分の仕事に誇りを持ち、生きがいを感じて働いているからそのような表情が出来るのでしょう。日本で働くサラリーマンも、こんな表情をするのだろうかと疑問に思いました。少なくとも、私が満員電車で見る彼らからは見られない表情でした。私もいきいきと自分の仕事に誇りを持って働きたい、そしてそのためにニューヨークで働くのも一つの選択肢かもしれないと思いました。

さらにジュニアアチーブメントでは、働く人々の多様さに驚きました。色々な人種の方が働いていました。ニューヨークで生まれ育った人も、地方から出てきた人もいました。そしてそれぞれがそれぞれの理由でジュニアアチーブメントに入り、自分の役割をこなしていました。現在日本は、ビジネスの面でも急速に国際化が進んでいます。日本社会でも異なる人種やバックグラウンドを持った人々が同じ空間で快適に働くにはどうしたらよいのかを考えさせられました。私はこの疑問を出来るだけ多くの人に問いかけたいと思います。より多くの人と分け合うことが、そこ答えを探す手がかりになるのだと思うからです。

それから、現地の大学生や高校生と知り合うことが出来ました。ニューヨークに着いた次の日の朝に、ニューヨーク大学を訪れました。大勢でぞろぞろ見て回るのかと思っていたら、いきなり大学生と二人きりになって、一瞬頭が真っ白になってしまいました。けれど、大学生は優しく色々な所を案内してくれたり、色々なことを教えてくれました。一番印象深かったのが、彼女がとっている授業を聴講させてもらったことです。大きな建物の中で日本語を話せる人が自分しかいないという状況だけで十分刺激的でしたが、その授業内容も非常に興味深いものでした。教授が議題を出し、少人数グループで話し合って結論を下して発表するというディスカッション形式で、その日の議題は架空の5人の希望者から奨学金を与える人を1人選びなさい、というものでした。大学生たちは5~6人で希望者の情報が書かれた紙を手に自分の意見を出し合っていました。講義形式の授業に慣れている私は、学生たちの熱意にすっかり魅了されてしまいました。かつては日本人が勤勉だというイメージが定着していましたが、今は日本よりもアメリカの学生のほうがずっと意欲的に勉強していると思います。言葉の壁さえなければ私も見ているだけでなく話し合いに参加したかった。心底悔しかったです。日本に帰ったらもっと英語を一生懸命勉強しようと思いました。そしていつかまた向こうの大学の授業を受けたいです。

JKO高校の生徒に初めて会ったのは、CBSの朝の番組の撮影のときでした。そのまま一緒にジョブシャドウをしたので、JKO高校を案内してもらうときはリラックスして生徒との会話を楽しみながら校内を回れました。そこでは私の通っている学校にはない国際的な学習プログラムがあるのに驚きました。ヴァーチャル・エンタープライズといって、世界中の生徒がインターネット上で起業してビジネスのシミュレーションを行える画期的なプログラムです。JKOの生徒たちも本物の会社のようなオフィスでカタログを作ったりして、意欲的にシミュレーションを楽しんでいるようでした。大学の授業からもわかるように、アメリカの学生は社会に出る前により実践的な練習を積んでいるようです。私の高校も総合学科なので、「コミュニケーション」や「産業社会と人間」」などの特色科目や、インターンシップなどを積極的に取り入れています。このように日本の教育機関にも参加型の授業やプログラムが広まればいいと思います。ペアを組んでJKOの生徒に日本語を教えたのもとても楽しかったです。ペアの女の子とすごく仲良くなれて、連絡先を交換しました。一生の思い出になると思います。

そして最後に、あるレストランへ行けたことも私にとっては進路を考える上で大切な経験となりました。そのレストランとは、プラネット・ハリウッドといって、有名なハリウッドスター達が経営に関わっていることで有名のお店です。店内には映画で使われた衣装や小道具、スターの写真などが並んでいます。映画マニアの私には夢のような世界でした。ニューヨークに行くまで、将来映画に関わる仕事に就きたいという夢をあきらめかけていました。映画がただの娯楽産業であり人々の役に立つ仕事ではないのでは、と不安になっていたのです。しかしそこで、やっぱり私には映画だと思えたのです。こういったレストランが繁盛していることやニューヨーク大学の映画・演劇学科が有名なことからも分かるようにアメリカは映画大国です。映画にはそれだけの力があるのです。映画を通して、人々にさまざまな問題提起をしたり、知らなかった知識を教授したり、未知の分野への興味を引き起こしたり、笑わせたり泣かせたり出来るんだと改めて思うことが出来ました。

そうしてあっという間に過ぎていった一週間を通して、ニューヨークは本当に色々なことを私に教えてくれました。例えば、英語でのコミュニケーションは一番の不安要素でした。上達したいと強く願う反面、たった一週間では身につかないだろうし、恥をかくに違いないというのが本音でした。しかし今、英語力が確実に上がったと自信を持って言えます。確かに、短い期間で増えた語彙はそれほど多くないし、文法に至っては新しいことは何も学べませんでした。けれど、英語で話すことになれることが出来ました。実際に英語でのコミュニケーションをとれていた事実が、文法や単語を二つ三つ覚えるよりはるかに私と英語という言語の間にある距離を縮めてくれたのです。さらに、幾度となく経験した相手の言うことは理解できるのに自分のいいたいことがうまく説明できないというもどかしさや、ニューヨークへの憧れ、優しくしてくれた人々と再会したいという想いが、今後私が英語を学んでいくうえで大きな原動力になることでしょう。

たくさんの人々との出会いも、今回の旅がくれた宝物です。エレベーターに偶然居合わせた人も、電車で隣に座っていた人や高校のトイレで出会った生徒たちもみんなフレンドリーに話しかけてくれました。様々な職業をしている人たちとも話をすることができましたが、みんな本当に表情が豊かで、まさに自由の国を体現していました。多くの人との出会いが人の人生をより価値のあるものにしていくのだということを改めて実感しました。ニューヨークでは、ホームレスとの出会いまでもが生き方を考える上で役に立ちました。人との出会い全てを大事にして、そこから何かを学ぶというのは全世界共通の概念として忘れないようにしたいです。

私たちは日本にいると自分が日本人だと意識する機会は滅多にありません。それでいて、日本人以外を見ると無意識のうちに外国人だと身構えてしまいがちです。メディアも、国際化が進むとはいえまだまだ海外のニュースよりも日本のニュースの方が断然多く流されているように見えます。世界に比べて、日本は閉鎖的な国であると気づかされました。世界を見ることが、日本を知ることにつながるのです。ニューヨークにもまた行きたいし、世界中の国々を見てみたいと思いました。そうして真の国際化の手助けをするのが目標です。将来に向けてより明確な目的意識を持つこともでき、当初このプログラムに参加することの目標だった「アイデンティティの確立」や先述の「英語力の向上」は十分に達成できました。

最後になりましたが、短期間で大学や高校、企業を訪問でき、たくさんの人と知り合えたのは、ジュニアアチーブメントの企画なしではありえなかったことです。この場を借りて、ものすごく貴重な体験をさせてくれたジュニアアチーブメントのみなさんや横浜清陵総合高校の先生方をはじめ、今回の旅で関わった全ての人に感謝します。


啓明学園 Mさん

ジュニア・アチーブメントのプログラムに参加した七日間、私は多くの人と出会い、沢山の新しい体験をし、日本では得ることが出来なかった知識を身につけることが出来ました。 現地の高校・大学を訪れた時は、異なった文化の中で育った同年代の人と話すことでお互いの共通意識、違いなどがとても興味深く感じました。現地の生徒や学生はとても親切でした。お互いの故郷のことや家族のことに始まり最近の映画の話題まで、さまざまな話題について意見交換し、親交を深めました。私が、道行く多くの人が信号を無視して横断していたことに驚いていたら、「慣れれば何てことない」と笑われてしまったこともありました。またPriceWaterhouseCoopersを訪問した時の日本人スタッフとの交流も面白いものでした。留学先のことや就職するまでの経緯などの体験談を伺い、進路を決めなければならない自分にとってとても参考になりました。普段なら滅多に交流の機会がない年上の方々に進路や職業などの真剣な話から、日本での流行など他愛もない話まで付き合って頂き、とても新鮮でした。また、英語漬けだった一週間の中でホッと安らげた時間でした。会う人が皆親切で、私が持っていた「ニューヨークの人は冷たい」という固定観念はこの旅ですっかり砕かれてしまいました。

また今回のプログラムで、個人ではすることのできない体験をすることができました。一番のメインはCBSでのジョブシャドウです。学校や会社訪問はとても印象深いものでした。初めて入ったアメリカの高校・大学は、日本と似ている様で違った面も沢山ありました。特に印象に残っているのはタイムズスクエアの中にある高校の授業です。ビジネススクールのこの高校には、”Virtual Enterprise”というインターネット上のプログラムに参加して行われる授業がありました。この授業ではクラスを一つの企業として、プログラム中に存在する空想の「金」を動かし、商品を売り、利益を得るなどの作業を学ぶのです。つまり言い換えれば超本格的な「会社ごっこ」の授業なのです。教室は小部屋に分かれていて、広報、会計、事務など役割分担がされています。こうした授業で生徒は実践的なノウハウを勉強することができる、と生徒の一人が教えてくれました。このような授業を日本で聞いたことが無かった私には、高校で既にこれ程のレベルに達しているアメリカの教育が衝撃的でした。日本とはまるで違うという強いインパクトを受けました。また、CBS訪問も貴重な体験でした。当日はスタジオの中やコントロール室の働きなどを見学し、アナウンサーの方々やスタッフ、さらにプロデューサーの話を聞くことが出来ました。その内容は通った大学のことから職業に就くまでの経緯、そしてその方々の人生観などでした。普通なら見ることの出来ないテレビ局という職場を見学することで、将来の職業に対するイメージがつかみやすくなったように思いました。これらの体験は経営学に興味を持っている私にとってたいへん興味深いものでした。

またニューヨークの名所を訪問することも出来ました。その中で心に残っているのはグラウンドゼロです。一度は行かなければという気持ちがあった場所でしたが、着くまでは自分がそこでどんな気持ちになるのか‐悲しくなるのか、辛くなるのか‐見当がつきませんでした。しかしビルから見下ろしてみると工事中のトラクターが新ビルの建築に取り掛かっていたり、何台もの車が忙しそうに真横を通ったりしているだけでした。私にはそれが悲しい光景には見えませんでした。むしろ、前向きに進んでいる街の姿に映って見えました。忘れてはいけない、けれど立ち止まっているばかりでもいけないのではないか、そんな気持ちに私はなったのです。映像を通してでは知ることが出来なかったであろう景色を観られたことはたいへんな収穫だったと思います。ほかにも国連や美術館の見学、ミュージカル鑑賞の機会もありました。”Mamma Mia!”は最高でした。

このプログラムで体験したことはどこをとっても貴重なものでした。CBS、学校の見学、全ての人との出会いは日本では得ることの出来ない発見の連続でした。人生の殆どを同じ環境の中ですごしてきた自分にとって、日本の大学へ通い、日本の企業に就職することが当たり前である気がしていました。でも今回のジョブシャドウ参加を通して、もっと多くのことを学びたい、もっと広い世界で活躍したい、と考えるようになりました。それが留学という形をとるのか、海外就職となるのかはまだわかりません。でも、海外で働いてみたいという昔からの希望が強まったように思います。

日本各地から集まったメンバーとの交流も楽しいものでした。東京にしか住んだことのない私にとってお互いの話は興味深く良い刺激になったと思います。この貴重な体験をさせてくださったジュニア・アチーブメントの皆さん、先生方に感謝しています。この一週間は私にとってとても充実した忘れることの出来ない日々となりました。ありがとうございます。


順心女子学園高等学校 Iさん

1月31日(火)
今日は長い間楽しみにしていたジュニア・アチーブメント主催のジョブシャドウに参加するため、ニューヨークに行く日でした。初対面の他の参加者とゆっくり語り合いなじむ時間もないまま、不安とこの企画への期待を胸にいよいよ飛行機へ……。生まれて初めて12時間の飛行を経験したのですが、座ったまま寝るのは5時間位が限界でした。そして、ついにニューヨークに到着しました。日本を出発したのが31日の夜でニューヨークに到着したのも31日の夜だったので何だか不思議な感じを憶えると同時に、何より自分が今ニューヨークにいるという事が信じられませんでした。空港からホテルへ向かうバスの中から外を見ると英語の看板がたくさん掛かっていて、そこで初めて「本当にニューヨークに来てしまったんだなぁ」と少しだけ実感がわき始めました。ホテルはタイムズ・スクエアの近くにありました。ホテルのレストランで夕食を食べる時に、アメリカンサイズのボリュームには驚きました。とても一人では食べられない量ばかりでした。明日はニューヨーク大学に行きます。緊張しますがとても楽しみです。

2月1日(水)
今日はニューヨーク大学(NYU)に行きました。NYUの学生達が案内してくれた校舎や施設は大変広くて全部は回りきれませんでした。NYUは日本の大学のように建物や運動場などの施設を一カ所に集めたいわゆる「キャンパス」ではなく、各学部や施設がワシントンスクエアパークの周りに点在していたので驚きました。図書館や展望室を見学しましたが入るにはIDカード(身分証明書)が必要だったので私たちが展望台のある建物に入るのは大変でした。見学途中、公園を通ったら、なんとリスがたくさんいたのです。木の上にも草の上にも。しかも人間を見てもまったく逃げる気配がありません。これにはびっくりしました。日本の公園でリスを見ることはめったになかったのでNYUの生徒に聞いてみたら、「ニューヨークではリスが公園にいるのは普通なのよ」と言っていました。大都市と自然のコラボ、これぞニューヨークって感じでした。そのあと大学に戻って授業を参観しました。大学の授業内容はまったく分かりませんでしたが、生徒は皆たいへんやる気があり、ちょっとでも疑問に思ったことは質問していました。こういう環境で勉強できたら幸せだなあと思うと同時に、私も将来はこういう環境で勉強したいなぁと思いました。 NYUの後は9.11事件で有名なグラウンドゼロに行きました。今はもう工事が始まっていて近くからは見られなかったので、向かい側のビルの2階から見ました。地下までぽっかりと穴が開いているのを見て改めて事態の深刻さが身にしみました。そして、私たちが行ったビル(American Express)ではテロに巻き込まれてしまった社員11人の涙として大きな水晶が天井からぶら下がっていました。その下には小さな池みたいなのがあり、亡くなった人たちの名前とその人の特徴が彫ってありました。それを見ているとなんだかとても悲しい気分になりました。もう二度とこんなに悲しい事が起こらなければ良いなと思います。平和の大切さを学びました。

2月2日(木)
今日は朝早くから制服を着てCBSを訪問しました。朝の「The Early Show」の天気予報に向こうの現地の高校生たちと一緒に出演しました。テレビに映るのは初めてだったのでとてもうれしかったです。その後、CBSのスタジオを見学しました。部屋にセットが3つくらいあってそこで撮影しているそうです。テレビ画面ではたいへん広そうな部屋で撮っているというイメージがあったので驚きました。その後、小さいテレビがたくさん壁一面にあるコントロールルームを見学し、そこで撮ったニュースなどを各地に流したり編集したりしていました。ちなみにニュースキャスターは朝4:30頃、コントロールルームの人たちは朝の2:30頃にはもう出勤しているそうです。そして10~30秒くらいのシーンでも何回も取り直しをしているのだと知って大変な仕事なのだと分かりました。非常に短いプログラムでも裏ではたくさんの人たちが努力しているんだと実感し感動したと同時に仕事の厳しさを学びました。

その後一緒にCBSを見学したJacqueline Kennedy Onassis high school(JKO)の生徒たちが彼女たちの高校を案内してくれました。その高校はマーケティングを主に教えているらしく、教室は日本の高校の教室みたいにただ机が並んでいるのではなく、まるでオフィスのようになっていてたいへんかっこよかったです。授業の内容も専門的で本格的でした。学生のやる気が伝わってきました。皆しっかりと目標を定めていて私ももっと頑張らなければいけないと実感しました。その後そこの生徒とペアになり、PricewaterhouseCoopers World Headquartersに行きました。そこで働く日本人の社員に業務経験などの話を聞き、日ごろから少しずつ将来のことを考えながら生きていくことが将来を決める上で一番大切なのだということを学びました。大変良い話をたくさん聞けたと思います。

2月3日(金)
今日の午前中は国連を見学しました。国連に入る時、セキュリティチェックがとても厳しくてさすが国連だなと思いました。国連に入るには「情熱と平和を願う心」が必要なのだそうですが。国連では中を案内してくれるツアーに参加しました。国連には191カ国が参加していて国連の外には参加している国々の旗が揚げられています。国連の会議室などさまざまな所に入って見学することができました。テレビを通してしか見られなかった会議室は、やはり本物の迫力がありました。

その後、ジュニア・アチーブメント ニューヨークに行きました。社員の方々にも興味深い話をいろいろ聞きましたが、一番印象に残っているのはオフィスの環境でした。オフィス内では各人の業務スペースが個室みたいに仕切ってあってとても落ち着く環境でした。また、同じオフィスで働く仲間をとても大切にしていて非常に打ち解けている感じで、この雰囲気がとても良いなと思いました。もしできれば、将来はこういう雰囲気の会社で働きたいと思いました。

2月4日(土)
今日はアメリカ自然史博物館に行きました。館内にはたくさんの恐竜の骨や昔の人間が使っていたものが陳列されていて、王様の墓などもそのまま移築されていました。昼食はGrand Central Terminalという駅で食べました。そこの「Oyster Bar」という店でカキ料理を食べました。カキフライはとても美味しかったです。アメリカで食べる日本でおなじみのカキフライは美味しかったけれど、何だか不思議な感じがしました。午後は買い物をしたのですが、実は今週はニューヨークで服を買っても税金が掛からない週なのです。年に2回しかないそうなので本当に偶然のタイミングで運が良かったみたいです。最後にプラネットハリウッドで夕食を食べました。有名人の手形や写真、映画などで実際に使われた衣装などがたくさん飾られていました。歌や映画が好きな人にはとてもうれしい所です。その後エンパイアステートビル展望台に行く予定だったのですが、あいにく天気が悪かったので入れませんでした。これでニューヨークでの生活は終わりです。やっと慣れてきたので少し残念です。

今日は朝早く空港に向かいました。ニューヨークの町から遠ざかるにつれてとても寂しい気分になりました。ニューヨークでは最初から最後まで驚きの連続でした。本当に夢のような一週間でした。今回英語が聞き取れなかった事が何回もあり自分の英語力不足が身にしみて分かりました。これからはもっと頑張って英語力を上げていきたいと思います。 良い出会いがたくさんありました。一緒に行った人たちもみんなとても良い人達でしたし、現地で出会った人もいい人ばかりで、いろいろなためになる話をしていただき、日ごろから将来のことを少しずつ考える必要性を強く感じました。今回は本当にいい話がたくさん聞けたし、とても貴重な体験をしたと思います。もし機会があれば、いつかニューヨークに住み、そこで働いてみたいです。


聖徳大学附属高等学校 Sさん

建物が高すぎる・・・視界が異なったような感覚を覚えました。この地では、自分の存在が内実共に小さく思えました。すべての建物が素晴らしく素敵で、電飾がキラキラしていて、街全体がエンターテイメントのよう。これがニューヨークの第一印象でした。 私は、ニューヨークの街と訪問先の情報を持たずに日本を出発しました。仮に情報や知識を得た上で訪れれば別の見方が出来たかとも思いますが、予備知識の無かった分だけ純粋な感動が味わえたとも思えます。

一週間の旅程を通して一番楽しかったのはニューヨーク大学への訪問でした。私はマシューという笑顔が素敵でとても人柄の良い学生とペアになり、周辺を案内してもらいました。周辺の街全体にNYUの関連施設が広がっていて、大学の敷地の中に一つの街がすっぽり入っているといったような風情でした。マシューは私の片言で、とんちんかんな英語に耳を傾け真摯に理解しようとしてくれました。彼は来日経験が3度あり日本語も多少勉強していました。それで、日本の流行や人気のキャラクターのことをよく知っていて、会話の半分は日本語だった気がします(汗)訪問時は、丁度マシューの経済関係の授業があったため私も一緒に聴講する機会を得ました。とにかく学生の勉学に対するモチベーションの高さが、ひしひしと伝わって来ました。日本では、大学であっても授業中に学生がお喋りしていてうるさいケース又は、居眠りや、ぼうっとしていて上の空(笑)。そのどちらのパターンが多いと聞きますが、そこでは全員の目がキラキラしていて、向学心に溢れていました。「自分も見習わなくては」と刺激を受けました。大学でも、次に訪ねた放送局見学でも感じたことですが、向こうの学生はよく質問します。日本では質問して良い時に質問する人が好奇の目で見られる傾向が強く、質問はそれくらい珍しいことのように捉えられていますよね。この「質問」に、国民性の一番の違いを感じた気がします。

JKO高校にも行きました。そして私は訪米二日目の自分を本当に後悔しています。一方的に英語のシャワーを浴びるだけで相手が何を言っているか全く理解できない、自分の英語は思っていた以上に乏しい、その情けなさに疲れきってしまっていたのです。だからJKOでペアになった高校生ともうまく意志の疎通が図れず「又だめだ」と思った瞬間、口数が少なくなり笑顔も作れず、自らコミュニケーションを放棄した形になってしまったのです。他の日本人の高校生はペアの人と交流しているのに、自分は一人でいる。ペアのアメリカ人は、ほとんどの時間自分の友達と喋っていました。それでも別れるとき日本からのおみやげを渡したらすごく喜んでくれました。最後に少しだけでも楽しくお喋りできて良かったと思います。元来私は人と気軽に喋れる質ではないので、言語の違いがあるとさらに消極的になってしまう部分がありました。でも国が同じでも違っても、大事なのは「誠意」なんだ、とこの日強く感じました。今回日本から参加した他の高校生だって、皆最低限の英会話力を身につけているだけでペラペラなわけではありません。それでもみんな必死に伝えようとしていました。その姿に学ぶことが多かったのです。

その後「プライスウォーターハウスクーパーズ」を訪問しました。まず、エレベーターの多さとその素敵さにびっくり。高層階の会議室に通され、偉い方を筆頭に社員の方々のお話を伺いました。日本人社員の方も複数おられて、英語を駆使しての堂々としたスピーチは素晴らしくかっこよかったです。その後のランチタイムで、日本人社員の伊藤さん、次いで朝倉さんが隣に来てくださり、楽しくお喋りしました。日本語でお話しできて安心しました。「プライスウォーター・・・」がどんな会社なのか全く知らなかった私たちに、アメリカで四本の指に入る、一言で言えば「監査会社」だと説明してくれました。とは言っても今でもよくわかりませんが、今回の企画のスポンサーでもあるぐらいなのでビルも立派でとにかく大会社なのだ、ということを感じました。

NYU訪問と同じくらい印象に残ったのは、ジュニアアチーブメントニューヨークを訪問した際、多くのアメリカ人スタッフを前に自己紹介スピーチをしたことです。電子辞書で密かに表現を調べ、ここはウケるかなぁなどと考えながら緊張の本番(笑)。予想は当たり、良い反応を示してもらえました。その後一人ずつ将来の夢を聞かれ、沈黙の末「actress」と答えてしまったことは今も恥ずかしいです。やっと自分のことを英語で伝えられた、良い時間でした。

さて、いよいよ今回のメイン、「ジョブシャドウ」に話を移したいと思います。朝早く出発して、CBS「early show」のお天気コーナーにアピールのために落書きした模造紙を持って「日本から来ました~」みたいな感じでみんな騒いでいたのですが、その日はとにかくテンションが低くて、何とかジュニア・アチーブメントの旗を持つ程度で、正直あまり楽しんではいませんでした。でも私は小学生の頃から報道業界、特にアナウンサー職に興味を持ってきたので、お天気キャスターやメインの男性・女性キャスターが登場してきた時にはさすがに血が騒ぎました(笑)存在感がすごいのです。結局張り切って考えたキャスターへの質問は時間が無くて出来ずに終わってしまいましたが、お天気担当の男性キャスターの話だけは聞くことが出来、「読書をはじめとして色々なことに触れて見聞を広めてこそ人間として成長できる。」といった類のお話をして下さいました。もちろん、話す英語はほとんど理解できませんでしたが、さすがキャスター、スピーチが上手なのです。英語をひたすら聞いているだけでも心に響いてくるものがありました。その後は時間の関係でジョブシャドウと言うよりスタジオ見学になってしまい、もう少しつっこんだふれあいを期待していただけに大変残念でした。テレビ局自体は、アメリカと日本にほとんど差はなく、以前日本のテレビ局を見学させていただいた経験があったので特別新鮮にも感じませんでしたが、スタッフの方が細かく丁寧に説明してくださったのには好感を覚えました。

次に国連で印象に残ったのは、日本のような先進国と発展途上国を「INEQUALITY MATTERS」として比較したパネルです。例えば、五歳以下の子どもの死亡率が「スウェーデン0.3%:シエラレオーネ28.4%」等というふうに。改めて比較されるととても心が痛みました。国連は今年60周年を迎えたそうです。世界全体が平和に、なんて夢のような話かもしれないけれど、やっぱりそれを目指さなければいけないわけで、国連の活躍に心から期待したいと思いました。

将来演劇方面に進みたいと考えている私にとって、多くの芸術に触れ合えたことは財産です。出発前、職員室でスケジュール表を見て鑑賞できると知って歓声を上げたブロードウェイミュージカル。街にも多くの看板があり、本当に楽しみでした。「マンマ・ミーア」は、わかりやすいストーリー、セリフだったのでとても楽しめました。でもアメリカ人と笑いどころが違うというか、ただ単に英語かわからないのか、「今のところおかしいか?」と思う場面もありました。演技やダンスももちろんですが、あれほど心に響いてくる「歌」は初めてでした。私は高校で声楽を学んでいますが、あんな風に伸びやかに歌えるように頑張ろうと思いました。

アメリカ人(ニューヨーカー?)は、陽気さと気性の荒さが紙一重だなと感じました。今までは、日本は人種としても国家的にも大人しくて弱くて、アメリカに比べたらレベルが低いというか、馬鹿にされている気がして対等につき合えない気がしていました。太平洋戦争での敗戦や、つい最近では牛肉の輸入問題を見ていてもそう思うところはあります。けれど今回アメリカに行って、日本人だからといって街を歩いていて引け目を感じることはありませんでした。それよりも自分がアメリカという国に対して多くの偏見を持っていたことに気づきました。歴史的な背景もあり一言で片づく問題ではないけれど、大事なことはどの国かとか人種とか民族ということではなくて、自分個人がしっかり己の生き方を見定めて、しっかり自分の意見・考え方を持つこと。そう感じました。自分さえしっかり持っていれば、アメリカという国、いや、どこへ行っても受け入れてもらえる気がしました。私はまだ進路を明確に決めていません。しかし今回の経験で留学という選択肢が増えたことは間違いありません。残りの高校生活でさらに積極的に視野を広げ、懸命に何事にも取り組み、その上で夢中になれるものに出会いたいと思います。人生初の海外をこんないい形で過ごせたことを幸せに思っています。最後になりましたが、スポンサーのアメリカン航空、ジュニア・アチーブメント(日本・ニューヨーク)の方々を始めとする皆様、そして日本の高校生のみんな、本当にありがとうございました。


茨城県立大子清流高等学校 Kさん

1月31日、私は「ジョブシャドウ イン ニューヨーク」に参加するため、成田空港へと向かった。途中とった昼食は、緊張のせいか喉を通らなかった。これから先約1週間のことを考えると、期待よりも不安の方が大きかった。

<NY一日目>
初日はニューヨーク大学キャンパスへ行き、大学生と共にキャンパス見学をした。国際交流にも魅力を感じていた私。どんどん話して勉強しようと思っていた。しかし、何と言っても喋るスピードが速い。聞き返したりもしてみたが、さすがに何度も聞くのは悪いと思い、結局適当な相づちになってしまう。最初の意気込みはすっかり消え失せてしまった。消極的になっていく私を見て、大学生は気を遣ってくれたのか、遣い慣れない日本語も交えて話してくれた。私の力不足で迷惑を掛けてしまったことが本当に悔しい。 キャンパス見学の後は2時間の授業聴講。1時間目は専門用語らしい言葉が飛び交い、理解不能だった。しかし授業の緊張感は、言葉が解らなくても伝わってくる。皆真剣な眼差しだった。2時間目が始まると、大学生がメモを渡してきた。「趣味は何?」や「ニューヨークは初めて?」等の質問だった。直接話すのとは違い、聴き逃す心配が無いのでちゃんとした返答ができる。言葉の壁にぶつかり落ち込んでいた私にとって、この心遣いはとてもありがたかった。紙の上でだったが、初めてまともな会話ができた。

<NY二日目>
ジョブシャドウ当日。朝早くホテルを出てCBS放送局に向かう。局前で早朝ニュース番組“The Early show”に参加した。冷たい風が吹く中、局の人達は機材を運んだり打ち合わせをしたりと、無駄のない動きで仕事をこなす。スタジオ内はJKO高校の生徒達と共に見て回った。職場の人達は皆活き活きしていた。職場とは「重苦しい雰囲気に包まれたカタイ所」という概念が私の中にあったので、その明るさに驚いた。緊張感はあるが、それを楽しんで仕事をしているという感じだった。それはおそらく、自分の仕事に誇りを持っていないとできない。私も誇りが持てるような職に就いて、活き活きと仕事がしたいと思った

CBSを後にして私達が向かったのはJKO高校。幾つかの授業を見せてもらったが、どれも私だったらすぐ挫折しそうな内容だった。それでも生徒達は積極的に、しかも黙々と取り組んでいる。「進路実現のために」というこの姿勢を、私も見習いたい。そういった気持ちがあったからか、この日は自分から高校生に意欲的に話しかけることができた。そしてプライスオータークーパーズを訪問。そこで働いている日本人の方達と、昼食をとりながら話しをした。将来について、私にはまだはっきりとした目標が無い。しかし、だからこそその目標ができたときのために「何か」しておくことが重要になる。私に足りないのは積極性だ、とJKO高校の生徒を見て思った。考えるだけでなく行動を起こしてみれば、何か新しいものが見つかるかもしれない。

<NY三日目>
この日はまず国際連合本部へ。世界各国の大使が集まるこの場所に、私が立っている。まさか自分がこのような機会に恵まれてこのような所を訪れることになるとは思いもしなかった。これはとても幸せなことだと思う。次に向かったのは、ジュニア・アチーブメントニューヨーク。今回私達が、ニューヨークでのジョブシャドウやその他たくさんの貴重な体験をすることができたのは、ジュニア・アチーブメントニューヨークの支援があったからだ。本当に感謝している。昼過ぎにメトロポリタン美術館へ行き、夕食後ブロードウェイミュージカル “Mamma Mia!”で今日を締めくくる。初めてのミュージカルが本場ブロードウェイで見られるなんて、夢のようだった。もちろん英語なので不安だったが、十分理解でき予想以上に楽しめた。

<NY四日目>
最終日に行ったのはアメリカ自然史博物館。ここでは恐竜の化石や世界中の動物などを見た。恐竜の大きさには圧倒された。何故人間はこんなにも小さくなってしまったのだろう。

海外は初めてではないが英語圏外だったため、英語が苦手な私でも現地の言葉と併せて会話ができた。今回の相手は本家ニューヨーカー。聴き取れれば身振り手振りで何とかなるだろうという甘い考えで臨んだ結果、撃沈。私などが聴き取れるはずもなかった。意気込んで取り組んだジョブシャドウも、何を言っているかほとんど解らない状態だった。しかし3・4日もすると不思議なことに耳も慣れ、次第に聴き取れるようになっていった。

プライスオータークーパーズで日本人の方と話しをしたとき、私は「英語が話せるようになるには、留学が一番ですか?」という質問をした。答えは、「いくら英語の勉強をしていても、日本にいる限り周りから日本語が聞こえてきてしまうし、いつも英語を話すわけにもいかなくなる。だから、やはり一番は留学。」だった。環境が人を育てるとはそういうことなのか。 私は、まだ自分の将来について検討中だ。しかし今回の経験を通して「自分は誇りの持てる仕事に就きたい」と思うようになれたのは、大きな進歩ではないだろうか。今までは自分の好きなことから将来を見いだそうとしてきたが、それは視野を狭めるだけだということに気付いた。様々な環境の中の様々な仕事に目を向けることから、自分の可能性を見つけることができる。


広島県立尾道北高等学校 Oさん

<1日目>
この日はニューヨークでの最初の日です。朝8時ごろにホテルのロビーに集合ということでしたが、時差ぼけや、ニューヨークに自分がいるという感動や緊張から、朝4時ごろに目が覚めてそれからも寝られませんでした。この日私の1日はとても早く始まりました。 朝食はホテルの隣のレストランで食べました。さすがアメリカで、1人あたりの量がとても多いと思いました。まずこれが、私たち日本人高校生にとっての最初のカルチャーショックだったように思います。

朝食後は地下鉄に乗ってニューヨーク大学へ行きました。ニューヨーク大学はとても大きく、正面玄関は学生であふれていました。日本人の高校生1人とニューヨーク大学の生徒1人でペアを作って、大学の中,大学周辺を見学して回りました。その後経済の授業を一緒に受けました。大学の講義ともなるとさすがに話すのが速いし、内容も難しいので、ほとんど何を言っているのかわからなかったけど,私の周りの大学生たちはみんな真剣に講義を聞いていました。講義のあった教室はけっこう大きかったのだけれど、席の数よりも講義を聴きに来た学生のほうが多くて、床に座ったり立ったまま講義を聴いている学生もいました。講義の後は質問もたくさん出て、アメリカの大学生は学習に対する態度が真剣だなと感じました。

大学の見学を終えた後、私たちは9.11自爆テロのあったグラウンドゼロを見に行きました。ツインタワーのあった場所は今は工事現場のようになっていたのですが、世界中が注目した大事件が起こったその場所に自分が今立っているということに対して,なんだか不思議な感じがしました。ツインタワーの隣にあったビルの中に、9.11やその日に亡くなった人を悼むオブジェがありました。大きな逆三角の水晶が高い天井から吊り下げられて固定されていて、その水晶の周りには薄く水が張られていました。天井からは水晶の周りの水溜りに1滴、1滴としずくが涙のように落ちていました。そのオブジェは、「テロで亡くなった人を悼み、私たちの涙は枯れることがない」という意味があるそうです。広く静かな場所に、一滴一滴としずくが落ちる音だけが響いて、見ているだけで涙が出てきました。とてもメッセージ性のあるオブジェでした。約一週間のニューヨークでの滞在を通して、私の心に一番残った物はこのオブジェだったと思います。テロで亡くなった方の遺族の悲しみがひしひしと伝わってきました。

<2日目>
この日は、ニューヨークに来た一番の目的であるジョブシャドウの日です。朝早く起きて,歩いてCBSまで行きました。CBSビルの前で朝のニュース番組に生出演した後、CBSビルの中に入り、どのような仕事しているか、またどんな機械を使っているか、1日のスケジュールを聞いたりしました。私たちが見学した番組を制作する担当の人たちは、毎朝とても早くに出勤し、とても忙しいスケジュールをこなしていました。私は、その忙しい日程をこなしていくのに欠かせないのは、チームワークだと思いました。そこで働いていた社員の方は、それぞれが大切な役割を担当しており、またお互いを信頼しあっているように思われました。仕事をしていく上で大切なことは、お互いを信頼しあって築き上げるチームワークだと思いました。

また、番組の中で私たちも出演したコーナーを担当していたキャスターの話で、「私たちはテレビを通して映像を提供する仕事についている。でも、私が一番大切だと思うことは、本を読むことだ。だからみんなも今沢山の本を読んでほしい。」というものでした。テレビ会社にジョブシャドウをしに行って、本を読むことを勧められるとは思っていませんでした。逆に、それほど読書をすることが後の人生に良い影響を与えるのだということを学びました。

ジョブシャドウの後、私たちはアメリカの高校へ行きました。そこでもニューヨーク大学の時のように日本人高校生とアメリカ人高校生でグループを作り校内を見学しました。高校で一番驚いたことは、高校の中で会社を立ち上げて、実際に高校生がビジネスを行っていたことです。私たちの行った高校では薬局のように、歯ブラシなどの日用品や化粧品などを売る会社を経営していました。ホームページを作ったり、カタログを作ったりして本格的でした。その会社は利益を得ることが目的ではなく、経営の方法を学ぶためのものだったのですが、教科書で学ぶよりも実際に自分たちで会社を経営してみるというのは、とても画期的でいいアイデアだと思いました。

高校の見学の後、アメリカ人の高校生と一緒にプライスウォーターハウスクーパーズという会社に行って、日本人の社員の方と一緒に昼食をとりました。そのときに社員の方がどこの大学に行って、どんな勉強をしたかなどの話をしてくれました。そのときに一人の社員の方が、何か行動をする時には目的をもってすることが大切だと言っていたことがとても心に残っています。職員の方はみんなアメリカの大学を卒業しており、英語が流暢に話せるのはもちろんのこと、アメリカの社会についていろんなことを知っていたので、話していてとても勉強になりました。

<3日目>
この日私たちはまず国連へ行きました。あいにくの雨で、各国の国旗は掲げられていませんでしたが、テレビのニュースで見る建物そのもので感動しました。国連の建物の中にはいろんな国から送られた平和を願う美術品などがありました。国連内を見学するときにはガイドの方が付いてくれたのですが、その方はヒスパニック系で、他のガイドさんもアジア系だったりして、いろんな国籍の方がいたことに驚き、またさすが国連だなとも思いました。

国連の後に、ジュニアアチーブメント ニューヨークを訪れました。思ったよりも職員の方が多くいました。職員の方全員と一緒に昼食をとって談話をしました。もちろん英語で話さなければいけなかったのですが、このとき初めて全員の前で一人で自分の意見を言う機会がありました。それまでは1対1で話すことはあったのですが、みんなの前で一人で話すのは初めてだったので緊張しました。言いたいことはあっても,いざそれを英語に直して発音も気にしながら話さないといけないのでとても難しく、みんな苦戦していました。改めて自分の英語力はまだまだ不十分だなと思いました。しかし、今回のことで改めて英語をもっと勉強して話せるようになりたいと思いました。
午後はメトロポリタン美術館へ行きました。とても広くて、とても1日では見切れない量の美術品がありました。驚いたことは、日本なら美術品に近づき過ぎないように展示品の前にはロープがはってあったりするのに、メトロポリタン美術ではロープは無く、とても近くまで行って展示品を見ることが出来たことです。世界的に有名な画家の絵画を1日にたくさん見ることが出来て、とてもうれしかったです。 夜はブロードウェーミュージカルの『マンマミーア』を見に行きました。さすが世界一のミュージカルということもあり、歌とダンスが素晴らしく、とても感動しました。

<4日目>
ニューヨークで1日過ごすのも最後の日です。この日は主にニューヨーク市内の観光でした。まず最初にアメリカ自然史博物館へ行きました。恐竜の化石や、動物の剥製などが展示されていて、とても興味深く、有意義な時間をすごすことができました。

<まとめ>
ニューヨークでの4日間を通して私はたくさんのものを見、たくさんの事を聞き、たくさんの事を学びました。これはニューヨークに行っていなかったら決して体験できなかったことばかりです。今回このプログラムに参加することが出来て本当にうれしく思っています。ジョブシャドウではアメリカの会社で人がどんな仕事をしているかを知ることができ、これからの自分の進路選択の参考になったと思います。 とりわけ今回のニューヨークの体験で一番心に残った言葉は、プライスウォーターハウスクーパーズの方が言っていた、「行動に目的を持つ」という言葉です。今高校で勉強するのも、大学へ行くのも、その後何かの仕事につくのにも、なんとなくするのではなく、しっかりとした目的を持って自己実現をしていきたいと思います。 私は今回のプログラムに参加することができて本当にうれしく思います。このプログラムを企画してくださったジュニアアチーブメントの方はもちろんのこと、支援をしてくださったアメリカン航空さんにもとても感謝しています。今回学んだことを、学校生活や自分の進路実現にいかしていきたいと思います。


東京都立豊島高等学校 Kさん

『ディズニーランドにいるみたい』まさにそんな言葉が一番合うあっという間の一週間だったと思う。 私は今でもアメリカに着いて一番最初にやって来た ‘危機’のことが忘れられない・・・成田空港で、一緒にいくメンバーの自己紹介をすませて、まさにこれからニューヨークに行くんだ!という気持ちで飛行機に乗ったが、私は飛行機が嫌いなせいか、ほとんど寝ていたことで、見たかった日付変更線を越える瞬間も見られなかったし、あっという間に酔ってしまった。それから11時間後・・・アメリカに着くと、ひやっとする冷たい空気で目が覚めた。外は真っ暗で、寝ていた間に、あんなにも長い距離をほんとに越えてきたのかと思うと不思議で不思議でしかたがなかったし、「ほんとにここはニューヨーク??」というのが、着いてまず思ったことだった。ニューヨークに着いた実感は全くなかったのだけれど、これから始まることにとにかく本当に私はワクワク!していた。けれど、ワクワクするのにはまだ早い。まず入国のためのカードと、本人確認のゲートへ私たちは急いだ。 ほかの9人はすぐに審査を終え、少し出遅れてしまったけれど、私は着いて初めて英語を使うチャンスだと思って、ドキドキしながら、職員の人にパスポートを渡した。 
「How are you?」 「I’m fine thank you」
やった!笑顔でうまく言えた!100点だ!と思ったのもつかの間、もう一度カードを書き直して、列に並び直すように言われてしまったのだ。その瞬間、私の顔から笑顔が消えた。メンバー達はもう別の階で荷物を取りに行っている。後ろを見ると、先ほどよりもっと長い列になっていた。もうまわりに知っている人はいない・・。しかたがなく、一番後ろに並び、必死にもう一度カードを書き直す。「まあ何とかなるか」と自分を落ち着かせようとはしたが、まわりを見回すとさっきまでいた日本人の団体はどこにもいなくて、見上げるほどの黒人や白人のひとだけがずらーっと並んでいたのだ。明らかに私はいまやひとりぼっちになっていて、全身に汗をかいていた。 頭の中は半分パニックだったが、私の前に並んでいたベビーカーを引いている母親にいたずらばかりしている男の子を見ているうちに、ふと、「私は何を外国人を前にして慌てているんだろう?よくよく考えれば、私だって同じ外国人じゃないか」と気付いたのである。そう気づいたとたんに、肩から力が抜けた。二度目はすんなりと通ることができた。ニューヨークに着いて早々ほかのメンバーに不安を与えてしまったことは言うまでも無い。けれども、この小さな体験は、今まで、自分以外は「外国人」という感じで見ていたことや、自分は日本人だ、ということにばかりにとらわれて過ごしてきた私にとっては本当に大きな‘心の転換’になった。

この後の二日目や三日目のアメリカでの経験も、私にとっては忘れられない日ばかりだった。二日目はニューヨーク大学に行くことになった。朝食はとにかくBig!で、全部は食べきれなかったけれど、私も、メンバーの子達も、朝からおおはしゃぎで、朝食の写真を撮っていた。けれどそれ以上に驚いたのが、朝なのに、いわゆるニューヨーカーたちはのんびりと会話をしながら、朝食をとっている姿だった。私は逆に心配になってしまった。 ニューヨーカーのイメージといえば、朝でもカッコよくスーツを着て、忙しそうに時計を見ながらスタスタ歩いて、ひょっとして、朝ごはんは食べてない?というのが私の中のイメージだった。けれど意外なことに、ニューヨーカーたちはむしろ、自分の時間を大切にしているようだった。日本で見ない光景だけに、私は朝食を食べることそっちのけで彼らを見ていた。

ニューヨーク大学では、私たちメンバーの一人ひとりにそこの学生さんがついてくれた。私は学生さんと一緒に、大学の周辺を回ったり(歩くのが早くてついていくのが大変だった)、手のひらサイズのクッキーや人気のあるお菓子を買ってもらったりして、緊張はしたけれど、その間に、少しだけ会話をすることができた。それから講義とプレゼンテーションも受けた。講義の内容は残念ながらほとんど分からなかったけれど、驚いたのは、答えが違っていても、堂々と先生の質問に答えている学生や、プレゼンテーション後の質問で自分の納得のいくまで学生同士で議論し続ける、そんな学生たちだった。施設は日本とそんなに変わらなかったけれど、唯一違うのは、みんなヤル気がある、という点だと思う。日本にも良いところはいっぱいあるけれど、やはり学生同士の議論はあまり見られなかった。でも私はやはりそういう大学が本来の大学だし、将来はこういうことが当たり前にできる大学に入りたいなと改めて感じた。プレゼンテーション発表者が、質問を受けてそれに対して答えているときの、あのイキイキした顔がすごく印象的だった。

JKO高校の同い年の子達と交流したときも、同い年とは思えないほど、はきはきいろんなことを喋るし、やはりアメリカの子供たちも私たちと違うなーと思っていたけれど、私たちと同じに友達とは冗談を言ってみたり、物まねをしたりと・・。残念だったのはあんまり会話できなかったことだけれど、国が違っても、同じ年代の高校生なんだな、と思った。そのほかにも、食べ物や、地下鉄やバスでのことやレディーファーストに驚いたことや、たくさん言いたいことばかりだけれど、この期間、一緒にいたメンバーも、私に大きな影響を与える存在だった。すごいな、と思ったのは、みんな簡単な英語でも伝えようと努力していたり、いろいろ考えてしまって話せないでいる私の背中を押してくれたり、メンバーの中には、自分で決めて一年間留学や学校外活動をしていたりと、積極的な子ばかりで驚いたけれど、私はこのメンバーといなければ一週間過ごせなかったと思う。

すべては言い尽くせないけど、日本に帰ってからひとつ、すごく思ったことは「体験をして感じることが一番大事!」ということだ。日本に帰ってから学校でまず友達に聞かれたことは「英語で話せた?」という質問だった。私も行く前はどういう風に喋ろうか、何を言おうか、ということばかり気にしていた。けれど実際アメリカに行ってみて一番苦労したのは、話すことより聞くことのほうがずっと大変なんだということだった。だからやはり私たち学生や、もちろんすべての人に大事なことは文化、言葉、慣習などを学ぶとき、それは教科書の中や、試験勉強で覚えることがすべてじゃない!と思って普段の生活を過ごしていくことだと思う。

今は一日かけないでも、見たことのない世界に誰でも行くことができる。そして、今はふだんの生活ですべてを見たような気になれる時代かもしれない。でも、それはアメリカに行くとか、南極に行くとかそういうことじゃなくても良いのではないかと思う。自分の今の環境や、わたしはここまで!という限界線をすぐに決めてしまわないで、どんな小さな世界にも、自分の肌で感じてくることが、誰にも決められないその人の価値になるのだ。 そして私自身も、今まで自分の範囲の中でしか地球は回っていなかったのがアメリカという大きな国を見てきたことで、ニュースなどを見たりするとき、場所も、人種も違うけれど、同じ‘とき’を過ごしているんだなあ!と思うようになった。それだけではなく、今までの私は、大学まで、という一直線の進路しか考えていなかった。そしてそれは私自身を固く、窮屈にしていた。けれど今は、違う道のりはたくさんあるし、広い考え方で、もう一度、「自分がどうなりたいか」を考えたくなった。そう思うと、「これからつらいだけの受験勉強だ」と暗くなっていたのが、「挑戦したい、楽しみたい」という気持ちに変わってきたのだ。

最後に、何よりもこのプログラムに参加させてくださった方々に感謝して、将来、この経験が私を変えた!と言えるようなものをもっと積み上げていきたい。


立命館高等学校 Yさん

<1月31日>
今日から1週間、ニューヨーク、期待と不安でいっぱいである。京都の自宅から成田空港まで約5時間かかり、成田空港に着くと、すでにこれから共に過ごす仲間が何人かロビーにいた。日本の各地から集まった9人の高校生とうまくやっていけるだろうかという前日からの不安は、不思議と皆の顔を見たとたんになくなった。それは、皆も自分と同じ立場で、同じ目的をもって集まっているから、お互いを早く受け入れられるようにと努めていることが感じ取れたからだ。 そしてジュニア・アチーブメントの中許さんが、出発前に、「日本の学生として、自覚を持って行動すること。」「帰国後、大勢の生徒達に学んだものを伝えること。」「今回のジョブシャドウ イン ニューヨークでの経験を夢の材料にしてください。」との言葉をいただいた。具体的には、小さな日本という範囲で物事を考えないで、何事も勇気を持って飛び込んで行って欲しい。そして、いろんな角度から、アメリカという国を見てきて欲しい。全身の五感を使って見てきて欲しいと、エールを送ってくださった。 私は、中許さんや黒木さんの期待にどれだけ答えられるか、自信は無いけれど、私なりのやり方で、ニューヨークで働く人々やニューヨークという街を見つめてみようと思った。

<2月1日>
午前10時半頃、ニューヨーク大学を訪問した私たち10人に、ひとりにビジネススクールの大学生ひとりがついてくれ、授業を受けたり、キャンパスや町を案内してもらった。つまり、カレッジ・シャドウである。私が受けた授業は、銀行から企業の人を招き、会社をとりまくビジネス環境やその企業の強み、就くことのできるポジションについてのプレゼンテーションだった。専門用語が多くて、難しく、私にはほとんど理解できなかった。しかし、受講していた大学生は、非常に真面目で、真剣であった。質問も多く出て、その前向きな姿勢に私は感動した。私にもっと英語力があれば、授業の内容が理解でき、有意義であったのにと少し悔しい思いをした。 余談ではあるが、授業中に掃除をする人が入室して、普通にゴミ箱の入れ替えをしたり、生徒が自分のテーブルの上にペットボトルを置いて授業中に水を飲むなど、日本では考えられない事もあり、びっくりした。そして、授業が終わった後に、教室でピザパーティをしてくれた。勉強と遊びのメリハリがはっきりしていて良いと思った。 ちなみに私と一緒に行動してくれたのは、中国系アメリカ人の女の人で、香港で経済の勉強をしていたが、さらにステップアップするためにニューヨークに戻ってきて大学で学んでいるとのことだった。彼女は、日本についてや、私の特技である書道や琴についても興味があるらしく、かなり詳しく質問してきた。何事にも積極的であることが、彼女を生き生きとさせているのだろうと思った。 午後に、グランド・ゼロへ行った。あの大きな出来事は何年経っても、復興しても、人々の心の傷は、今もなお癒されることはないのかもしれない。「クリスタルの涙」には、11人の亡くなった人の名前と職業、経歴と、もし生きていれば、こうなっていただろうなど記されてあった。この日も、私たちだけでなく、多くの人々がこの地を訪れていた。私は、遺族や、助かったけれどその時の恐怖が心に残っている人の気持ちを考えると、心にずさりと刃が突き刺さるような気持ちであった。ニューヨークは、どんな人も受け入れる明るい側面と同時に、心無い人からの標的になりやすいという側面があることをひしひしと感じた。

<2月2日>
早朝からCBS「The Early Show」の見学に行った。プロデューサーやキャスターの話を聞いたり、モニターが並ぶコントロール室に入って技術者の話を聞くことができた。1つの番組は、それぞれの専門の人が、協力をして、とても綿密な作業を経て出来ているのだなぁと分かった。 午後には、Jacguline Kennedy Onasis High Schoolを訪問した。授業を見学した後、日米の高校生がペアになって、「日本語レッスン」をした。私は、17歳の2人の女の子とペアを組んだ。「おはよう is Good morning.」といった簡単なものだったが、彼女たちは明るく、初めて会った日本人の私を自然に受け入れてくれて、すぐに友達になれた。 その後、Jacguline Kennedy Onasis High Schoolの学生と一緒に、PricewaterhouseCoopers World Headquartersという会社を訪問した。ここでは、日本人の社員がたくさんいて、うち6人の人とランチを取りながら、いろいろな話を聞いた。私が話した日本人は、女性で、海外留学をしていた経験があり、学んだ英語を生かした仕事をしたいという理由で日本人の多く働くこの会社を選んだ。そして、彼女は、この会社で会計の仕事をして4年、とてもやりがいがあるという。私は、できればこのまま彼女にジョブ・シャドウしてみたいと思った。また、いつかジュニア・アチーブメントでニューヨークで働く日本の女性に付いてジョブ・シャドウする企画をしてもらえたら嬉しい。

<2月3日>
午前中、国連本部の見学をした。残念ながら雨の為、加盟各国の国旗が風になびいている様子が見れなかった。国連前のオブジェはピストルの先が結ばれている大きな像であったが、これは平和への強いメッセージであることが伝わってくるようであった。会議室はとても大きく、ここで世界平和について討論がされているのかと思うと感慨深いものがあった。 正午頃、ジュニア・アチーブメント本部ニューヨークを訪問した。私たちは、ニューヨークに来て3日目、今まで過ごして来てどういうことを感じ考えたかを英語で述べることになり、私はかなり慌てた。自己紹介は、なんとかなるけれど、意見をまとめて英語で話すことは難しい。ここで、自分の英語力のなさを痛感し、これからもっと英語を学びたいと思った。 午後、メトロポリタン美術館を見学した。ここは、世界4大ミュージアムのひとつであるので、とても楽しみにしてきた。コレクションの数が多いので少ししか見れなかったけれど、世界中の美術品が凝縮されていて素晴らしかった。特に私は、ホールのドーム天井の美しさに感動した。 夜は、ブロード・ウェイでミュージカルを鑑賞した。「Mamma Mia!」であった。私が以前、大阪で見たミュージカルに比べると、本場ブロード・ウェイで見る「Mamma Mia!」の方が迫力があり、感激もひとしおであった。

<2月4日>
午前、アメリカ自然史博物館見学。ここは、化石や生物などの自然界のものや人間の文化や歴史などの人類学まで、地球全体の進化を見学することができた。ティラノザウルスの骨格標本には圧倒された。また、ローズ宇宙センターで、ブラックホールを体験したかったが、都合で入れなかった。しかし、ここで、宇宙食のアイス・クリームを購入できた。 この日は、エンパイアステートビルの展望台も天候の都合で上れなかった。が、下から見る建物は、まさしくニューヨークの象徴であった。

<2月5日> 朝、JFK空港へ。

<2月6日> 午後3時45分。成田空港、解散。

あっという間の1週間だったが、私がジョブ・シャドウで得たものは非常に大きかった。 まず、私がニューヨークで出逢い、話した人々は、アメリカを代表する多民族国家の一員である。世界の各国々から来た人々の集まりなので、日本人の私にも、何のためらいもなく話しかけ、受け止めてくれる。しかし、日本は、島国であり、単一民族のせいか、外国人に友好的でなかったり、時には排除してしまう人もいる。この点で、私は、アメリカは日本に比べ歴史が浅い分、民族や宗教を超越したところで、人々が助けあい、信頼しあいながら社会が成り立っているのではないかと考える。 もう一度、機会があれば、じっくり仕事に取り組んでいる人を観察してみようと思う。今までなら、人が仕事をしているという、「仕事」に目を向けていたが、本当は、仕事をしている「人」に目を向けるべきではないのかとニューヨークで働く人々を見て思った。


立命館慶祥高等学校 Tさん

今まで17年間生きてきて、ここまで濃密な1週間があっただろうか。いや、絶対になかった。私はそう確信している。1秒1秒が新鮮で、一瞬一瞬が宝石のように輝いていて、全てが私に“何か”を訴えかけてきた。それは決して一言では、いや、どんなにたくさんの言葉を用いたとしても言い表すことは出来ないだろう。だが、ひとつ言えるのは、それは確実にプラスの要素であり、私の思考に、そしておそらく運命にも、大革命を起こしたということだ。

私の受けた感動・感銘を、是非たくさんの人に伝えたい。独り占めするにはあまりに大きすぎる。今これを見ているあなたにも、どうか、感じてほしい。 私がジョブシャドウ・イン・ニューヨーク参加の通知を受けたのは1月11日のことであった。その日から出発当日まで、興奮のあまりなかなか寝付けない夜が続いた。

迎えた31日、出発の日。成田空港行きの機内では、口から心臓が飛び出るかと思うほどに緊張していた。どれだけ優秀な人たちが集まっているのだろうか、果たして自分はその中で通用するのだろうか、と。全員が集合した後、小広間で自己紹介の場が設けられた。お互い初めて会ったばかりなのだから、当然緊張した空気で行われるのだろう、と思っていたが、その場に創り出された暖かい空気を感じたとき、彼らの能力の高さを垣間見た気がした。ジュニアアチーブメント・ジャパンの代表である中許氏の挨拶が非常に印象に残った。『君たちがこの企画に選ばれたのはラッキーなのではなく、君たち自身の今までの生き様が反映された必然の結果であることを心に留めておいてほしい。そして、日本の学生の代表であることを意識しつつ、たくさんのことを吸収し、そして帰国後、他の何十万人という学生達に、また、社会にそれを還元してほしい。』大体このような内容であった。彼からは、私が今まで出会ってきた大人達にはない、熱意、そして器の大きさを感じさせられた。

約13時間の長いフライトも、機内での弾む会話のおかげか、さほど苦痛に感じられなかった。入国手続き時、指紋検査に引っかかるというハプニングがありつつも無事ニューヨークに到着し、シャトルバスでホテルに向かった。バスから眺める風景に面食らった。真冬の午後7時は暗い。それが常識だ、と私は信じていた。ひとつの概念が、私の中で音を立てて崩れていったのがわかった。蛇のように連なる車の長い列から発せられる光。首が痛くなるほど見上げなければ最上階が見えない超高層ビルの群れの、ひとつひとつの窓から発せられる光。見たことも無い大きさ、数の電光掲示板から発せられる光。それらが地面を照らし、空を照らし、夜であることを疑ってしまうほどの明るさを生み出していたのだ。着いて1時間もしないうちに、私はニューヨークという街の虜になっていた。翌日以降のことを考えただけで胸が躍った。

アルゴンキンホテルのベッドの寝心地は素晴らしく、朝の目覚めも良かった。 ホテルに隣接したカフェで朝食を摂り、ニューヨーク大学へ。日本とは違う地下鉄の改札のシステムに困惑した。私は将来、法学を学びたいと考えているため、商法の講義を受けることになった。私は、英語に対してそれなりの自信があった。中学生の時点で既に英検2級を所得していたし、英語圏の国にも何度か訪れたことがあったためだ。しかし、それは講義開始5分も経たないうちに崩れ去った。全くもって理解不能だったのだ。ショックだった。そのショックを抱えたままグラウンド・ゼロへ。一目見た瞬間、背筋が凍りつき、数時間前に受けたショックはその意味合いを大きく変えた。圧倒的なその光景は、一瞬にして私の生気を奪い去った。私の目には、いつの間にか涙がこみ上がっていた。色々なことを、真剣に考えさせられた。人はなぜ、争うのだろう。人はなぜ、仲良く出来ないのだろう。人はなぜ、存在しているのだろう。

翌日はジョブシャドウの目的地であるCBS放送局へ。そこでJKO高校の生徒達と合流した。ニュース“The Early Show”の生放送に出演。冬の早朝の寒空と、ニューヨーク市民の優雅な朝の一場面に、我々の狂喜乱舞した声が響き渡った。放送終了後、CBS社内に入り、アシスタント、キャスター、編集者の話を聞くことになった。中でもキャスターの話が印象的だった。彼は『読むこと』の重要性を我々に熱く語ってくれた。また、『読む』という行為の衰退をひどく危惧していた。彼はキャスターで、映像、もしくは音声で情報を伝えている立場であるのに、ある意味それを否定しているとも取れる、矛盾を秘めた考えは面白かった。CBS放送局は世界に情報を発信しているということもあり、社員ひとりひとりの責任感は強かった。それにも関わらず、全員が仕事を心から楽しんでいるように見えた。きっと、皆自分の仕事に誇りを持っているためなのだろう。私も将来彼らのように楽しく仕事をしたいと強く思った。JKO高校見学の後、JKOでの私のパートナーで、ジャーナリストを目指すKarlaと、将来の夢、お互いの国の若者、そして寿司について語りながら歩き、PricewaterhouseCoopersという会社へ。会議室で昼食を摂る。そこで日本人社員の方と話す機会があり、英語に自信を失くしたことを伝えると、『本当に英語を身につけるには留学しかない』という明快な答えを彼は私に示してくれた。胸の中の蟠りが一気に解けた気がして、本当にありがたかった。ただし、『駅前留学ではダメ』とのことだ。

次の日からは観光中心のスケジュールが組まれていた。朝食後、バスに乗り国連本部へ。少しの時間だが、実際の会議を見るという貴重な体験ができた。戦争に関しての展示コーナーはあまりに痛々しく、言葉も出てこなかった。人類はなぜ武器など作ってしまったのだろうか。ジュニアアチーブメント・ニューヨークで昼食。20人近いニューヨーカーに囲まれての自己紹介は緊張した。写真撮影をして、社員の方々とお別れ。その後再びバスを利用し、世界最大の美術館であるメトロポリタン美術館に。異様に巨大だった。『全部見るのに1週間はかかる』という噂はどうやら本当だったようだ。ピカソ・ゴッホ・セザンヌなどの有名人の作品はもちろんチェック。美術の教養は特に無いが、何か心に響くものがあった。しかし、私が1番感動したのは日本展だった。縄文・弥生土器が、仏陀の臨終の絵画が、日本が手放した芸術たちが、遠いアメリカの地で輝いているのを見ると、嬉しくてたまらなかった。また、何千年も昔の古代文字が記されたエジプト展の壁画は、有無を言わさず私に涙させた。夕食後、ブロードウェイのミュージカルを見るためバスでシアターへ。演目は“MAMMA MIA!”。ABBAの曲をベースに作られた、コミカルなものだ。観客も一緒になって踊りだしてしまうほど熱い舞台だった。英語も日本語も関係ない、噎せ返るほどの熱を帯びた夢の世界に私はいた。終了後すぐにホテルに戻り、夢心地がさめないまま、再び夢の中へ。

翌日は自然史博物館と、ショッピング。この頃には気分もすっかりニューヨーカーになってきて、それによってまた新たな発見がたくさんあった。巨大ビルの群れの本当の価値であるとか、彼らの暖かさの中に潜むドライな部分であるとか。

次の日は帰国のため、早朝に空港へ。名残惜しいという気持ちが強く、出来ることならばもっと滞在していたいとも思ったが、笑顔で別れた。『またね』と。空から見下ろすマンハッタンがだんだん小さくなり、雲の下に消えていった。 以上が、私の体験した概要である。この1週間から得た財産は一生私の中に残るのは確実だ。1年後には得たものを全て理解し、存分に活かしているかもしれない。10年後には違った解釈を見つけているかもしれない。50年後には、また違うものを見出せているかもしれない。この経験は言わば、常に変化する宝物のようなものだと私は捉えている。この貴重な宝物を得る機会を私に与えてくれた全てに、深く感謝したい。